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夢殿

面積約187000u、東京ドーム14個分の広大な敷地に多数の伽藍が並ぶ法隆寺。

夢殿

その東端近くにあって、あまり大きくはない建物なのに、古くから多くの人々を引きつけてきたのが夢殿、正しくは上宮王院夢殿です。

法隆寺全体は西院伽藍・東院伽藍の2つの寺域に区分されますが、東院の中心となっているのがこの夢殿です。
夢殿は、もともとは法隆寺の所属ではありませんでした。



夢殿の建つ土地はもともとは聖徳太子一族の住まい「斑鳩の宮」があった場所でしたが、7世紀の中頃、戦乱の中で焼失。

それを惜しんだ法隆寺の高僧行信は、同じ地に夢殿を含む上宮王院を建立。のち、その上宮王院が法隆寺に統合されて、現在まで続いてきたのです。

夢殿 聖徳太子



夢殿は、聖徳太子を供養する堂として建てられた堂です。八角円堂という夢殿のつくりも、円同は故人を供養する堂の形という定めに由来しています。内部には太子ゆかりの遺品が集められているのも、そのことの表れです。

建立は天平11(739)年頃とされていますが、推古30(622)年に聖徳太子が49歳で亡くなってから約100年。

聖徳太子信仰が大きく高まりはじめていて、夢殿はやがて信仰の中心地となりました。法隆寺が上宮王院を吸収したのも、夢殿に集まる聖徳太子信仰の力が欲しかったからといわれます。


堂が夢殿と呼ばれるようになったのは平安時代のことですが、その名は、かつて太子が法隆寺に参籠して瞑想にふけったときに黄金でできた人が現れる夢を見たという故事に基づいています。夢殿は太子を供養する場であると同時に、太子が見た夢の器でもあるのです。