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金堂壁画

仏像や厨子、工芸品を多数収蔵した法隆寺は、仏教美術の宝庫でもあります。その1つとして、かつては多くの来観者の目を楽しませていたのが、金堂の壁画です。

金堂壁画

インド・アジャンターの壁画、中国敦煌莫高窟の壁画などと並んで、金堂壁画はアジアの古代仏教絵画を代表する作品の1つとも言われました。

金堂の壁画は、普通、外陣(堂の外側の一郭)の土壁に描かれていた12面の絵を指しますが、金堂にはそれ以外にも内陣(堂の最も奥まったところ)の小壁に20面の飛天図が、外陣の小壁に18面の山中羅漢図がありました。

これらは、20面の飛天図を除いて、いまはもう見ることができません。

その理由は火災です。



火が出たのは1949年(昭和24年)1月26日。火元は壁画の模写作業をしていた画家の電気座布団とされていますが、模写に使っていた電熱器が火元という説もあり、真相は不明です。

いずれにしても、この火災のために外陣土壁の12面の絵は黒焦げになり、収蔵庫に保管。
また、18面の山中羅漢図も、火災の後始末の一環として粉々に砕かれてしまいました。

こうして、金堂壁画は人々の前から消えていき、金堂の修復後、外陣土壁は現代の画家たちが模写した絵で覆われることになりました。

ところで、金堂壁画にはもうひとつの謎が今もついてまわります。それは、壁画を描いたのは誰かという謎です。この問題は長く議論され、平安時代の文献『七大寺日記』の記述をもとに、飛鳥時代に活躍した仏師によるものというのが定説となってきました。

しかし、壁画が描かれたのは7世紀後半という説が有力で、飛鳥時代の仏師が描くのは不可能。壁画の絵師は、いまも謎につつまれたままです。